「たぶん、私は3人目…」伊達政宗公像(仙台市)
仙台と言えば、「伊達政宗公」が有名ですね。
…とはいえ、政宗公の生まれは米沢で、その後、東北地方をいろいろと動いているので、先々で名前を聞くのですが(笑)。でも、本当に仙台の方々に愛されているなぁ…と思います。
政宗公の居城ともなった「仙台城」(青葉城は通称)。
実は、江戸城に続く、日本で2番目に広い城だったそうです。
最初は山城だったので、青葉山の上に“本丸”を作ったらしいのですが、その後時代変化とともに、山城の機能が不要となり、麓に“二の丸”、“三の丸”を作り、メインもそちらに移されていったとのこと。
なお、今回「若沖展」を行った「仙台市博物館」も、昔の“三の丸”跡地にあります。
(“二の丸”跡地は、「東北大学川内キャンパス」になっています)
←伊達政宗といえば、有名なのが、この「騎馬像」。
NHKの歴史ヒストリアでも、伊達政宗ネタの時、よく出てきます…(笑)。
三日月型の前立兜で、颯爽と馬にのる姿がカッコイイですよね~♪
仙台城まで来たら、やっぱりこの騎馬像を見たい!…と思い、像の在処を伺ったところ、「仙台城の本丸跡にあります」とのこと。
うっ、それって青葉山の上ってことですよね(^_^;。
仕方ないなぁ…と、三の丸の裏手から、本丸に登ろうと思ったのですが、典型的な「山城」で攻められにくくなっているため、道は細いし、くねくね曲がっているし、急な角度の坂道が延々と続くわ…で、道半ばですでに「ハァハァ」と息があがる、現代人(^_^;。だめじゃん…
昔の人は、鎧も武器を持って、ここを駆け上ったのかと思うと、尊敬します!。
麓の片倉小十郎屋敷から、「殿!一大事!」って駆けつけるのは大変!(あ、馬に乗っていけばいいのか?)
←急峻な坂を登り切り、ようやく“本丸跡”に到着!
随分、標高が高くなったなぁ…と実感する風景ですが、実は、ここからは海(太平洋)が臨めるんです!
当時、政宗公もここから実際に海を眺めたとのことですよ。
かすかに海が写ってます。思いの外、海が近いんですねぇ。
騎馬像の足下には何やら人だかりが…と思ったら、
伊達武将隊の方々が、丁寧に仙台城の解説中…(笑)。
左より、「黒脛巾組 隠密 空(そら)」「伊達 政宗」「片倉 喜多」役の皆様
個人的に、ちょっと不遜的な態度の政宗様が、 ハマってて楽しい。
実は、この「騎馬像」。
仙台にある「政宗像」としては、3人目…もとい、3代目とのこと。
初代も、「騎馬像」だったそうですが、今はどちらに………?
←実は、“三の丸”の裏手にある伊達政宗公 胸像が初代。
「(下半身と馬を)持って行かれたーーー!」とか、叫んでそうですね(笑)
太平洋戦争中の「金属供出」により、全国の色々な銅像たちがいなくなってしまいましたが、伊達政宗公もその憂き目にあっていたんですね。
実は、初代政宗公像は供出により、現存しない筈だったのですが、戦後、塩竃で上半身部分が発見され、仙台に戻されたとのこと。
逆に、政宗公の像を全部供出するのが忍びなくて、誰か、胸像部分だけ残したんじゃないだろうか…とも、思ってしまいますが…。悪運が強そうな、政宗様…さすがです(笑)。
なお2代目…と呼ばれるのは、「伊達政宗公 平和像」と呼ばれ、戦後から昭和39年まで、仙台城趾に置かれていましたが、その後、政宗公ゆかりの「岩出山町」(現 大崎市)に寄贈されています。
仙台市民に愛される、「政宗公」。
本当はどんな姿・顔だったんだろう…と、興味がわいた方は、ぜひコチラにも足を伸ばしてみてください。
←「瑞鳳殿」(伊達政宗公 霊屋)
政宗公、忠宗公、綱宗公、三代に渡る、伊達家のお墓。
近年、遺骨が発掘され、3人の身体的な特徴や、顔の特徴が復元されています。→参照
ちなみに、身長は159.4cm、血液型はB型だったようです。
(政宗公は、当時の「平均的身長」だったとのこと。ということは、BASARAや戦国武双の政宗は高過ぎ?に思えますが、きっと「(現代の)平均的身長」にしたんですよね!(爆))
なお、この瑞鳳殿も“山の上”にあるので、急な坂道(階段)付きです…!(>_<)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント